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アメリカと日本の大学の違い
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アメリカの大学教育から見る、日本の大学との違い

 

このくっそ忙しい時期に、ブログを更新する僕。

ただ、これは後世のためにも、残しておかなければと思って更新します。

 

Final Examの時期に差し掛かり、プロジェクトや、テスト勉強で完全に僕は、忙殺されていますが、

ただ一つ言えるのは、忙しいながらも、普通に楽しいということ。

それが如何に楽しいかを説明する前に、まず、アメリカと日本の大学の教育の違いについて言及します。

 

アメリカの大学教育から見る、日本の大学との大きな違いとしては、

巷でもよく言われているように、まず、「勉強量」が挙げられます。

 

この勉強量の違いを例に挙げて、

よく「日本の学生!勉強しろ!」みたいなことが、よく言われますが、

これは大きな間違いで、学生自体に問題があるのではなく、大学の仕組みに大きな問題がある

と思っています。

 

僕の通っている大学でも、ハーバードでも、学生は、ヒーヒー悲鳴を上げながら、

文句をたらしながら、それでもいい成績を取らないといけないために、

極端なことを言えば、無理矢理やらされているのです。

 

僕は、州立大学のような生徒数が多い、大きな大学は、経験していないので、

よくわかりませんが、僕が通っているリベラルアーツ上がりのプライベートスクールや、

ハーバード大学は、日本の大学とは生徒に学習させる仕組み自体が全く違います。

 

こういう違いを生む理由は色々ある(授業料が高い、教授の役割が違うなど)と思うのですが、

今回はそこには言及せず、まずは生徒側にとって、

具体的にどういう違いが根本的に存在するかを説明します。

 

今学期に書いたペーパーの数は、40枚以上。

これは、今学期僕が、一つのクラスだけで書いたペーパーの数です。

ここからまた更に増えます。日本の大学であれば、せいぜいレポートの数は、

取っているクラスにもよりますが、一学期に多くても10枚くらいでしょう。

 

僕が今取っているアートヒストリーのクラスでは、

毎週大量のリーディングと、それに対するリアクションをまとめてくるといった課題が出されます。

1回の宿題につき、ワードで3枚ほどの長さを求められるので、割とキツいです。

 

ここで言いたいことは、単純に「先生が生徒に求める量が違う」ということだけでなく、

生徒を判断する成績の判断基準が違うということです。

 

中間試験50%と期末試験50%

中間試験30%、期末試験40%、出席30%

 

みたいなめちゃくちゃざっくりした感じではなく、

 

11個のリーディングアサイメント10%

3個のグループリポートそれぞれ45%

3個の個人課題それぞれ45%

*  課題が遅れた場合は、満点であっても、70%

 

それぞれのリーディングアサイメントにおいても、

かなり細かい明確な基準が設けられています。

イントロダクション70%

文法ミス10%

といった感じです。

 

日本の大学生なら誰しも経験したことがあると思うんですが、

「あんだけ良い事書いたのに、何でこの点数やねん!納得いかんわ!」

みたいな経験が少なからずあると思います。不可解なA、納得いかないD的な。

覆水盆に返らず的なね。

 

 

僕も、こちらへ来る最後のセメスターで、

 

毎日しっかり出ていた授業なのですが、留学の関係で、

最後のファイナルテストが受けられるか怪しく、それを先生に伝えたところ、

そういった生徒に対しては、「救済措置を出す」と行って頂き、

 

レポートという特別課題を出そうという風に助け舟を出して頂いたことが有りました。

しかし、僕としては、その救済措置を受け入れる前に、確認したいことがありました。

 

・テストとレポートで成績評価に違いはないか?
*もしレポート試験が不利になる場合は、日程を変えてでもテストを受けること。

・レポートに関する評価基準及び、テーマの確認

 

これらをしっかり確認し、レポートを書いたにも関わらず、

評価はD。あまりに、怒り奮闘した僕は、直接メールをしました。

そしてその説明して頂いた評価の理由が、「授業で説明した内容が、書かれていない」ということでした。

 

事前に、テーマと授業内容が離れているように思えた僕は、

しっかりと「テーマと授業内容をどのように結びつけるか」の例を教えて頂きたいと言っていたのに、

「自由に書いてくれて良いよ」の一点張り。そして結果がD。

これは僕側にも救済措置を出して頂いたという問題があったので、

なんとも言えないし、特別なケースかも知れませんが、

 

このように先生が決めた曖昧な基準と気分で全て成績が決まるようなことは、

あまりアメリカではないのではないでしょうか。

明確な成績基準と、継続的な努力が求められ、それが評価されるような仕組みがあります。

 

コンテンツの質と、そのコンテンツを評価する仕組み

正直僕は、こちらにくる前は、学校のコンテンツにもはや全く期待していませんでした。

英語が聞けて、喋れればいいやくらいに考えていました。

というのも、いつも学校のコンテンツというのは、僕の期待を悪い意味で裏切ってくれるものばかりで、

授業は、きっかけを与えてくれるだけで、

その質を高めてくれるのは学校ではなく、独学だと考えていたからです。

 

しかし、こちらに来て思ったのは、学校側は、無理矢理勉強させる代わりに、

授業のコンテンツを磨く努力と、それを生徒が評価する仕組みがしっかりあります。

 

またまたアートヒストリーの授業の例になって申し訳ないのですが、

今まで、個人のプロジェクトが3つあり、その3つが非常にユニークなものだったので、紹介します。

 

つい先程、発表が終わったファイナルプロジェクトで、

テーマとしては、「パブリックアートを作る」というもの。もちろんペーパー課題付きです。

 

インスパイアされた作品を挙げながら、

どういうコンセプト、どういう意図をもって、この作品をどこに作ったかということを、

プレゼンするというものです。

 

僕は、ちなみに、これを自分の作品としました。

アメリカと日本の大学の違い
アメリカと日本の大学の違い

 

何故これを作ったかはまた次回の説明に譲ります。

 

ここで僕が感銘を受けたのは、「ヒストリー」の授業で実際に、

作品を作ることが求められるということです。

 

前回2回の個人プロジェクトも、制作を求められるものであり、

非常に興味深かったです。(こちらを参照)

 

アートを理解するには、

実際に「作って、その作者の気持ちになってみないとわからない」といった意図が、

このプロジェクトにはあったように思います。

 

そして、学期末になると、これらの授業を「評価しろ!」といったメールが、頻繁に届くようになります。

先生方もそれらの評価がもちろん自分の評価に繋がるので、しっかりコンテンツを磨く努力をするわけです。

(日本でもすごい時間割あたりがここにアプローチしてくれると信じています。)

 

そして最後に、

 

成績の社会的重要性

これがぶっちゃけ1番の違いなんですけどね。

Googleの偉い方が言っていたと思うんですが、

 

“学校の成績も攻略できないやつが、どうやって社会の問題を解決するんだ?”

 

って言っていたと思うんですが、まさにその通りだと思います。

 

しかし、日本では、ご存知の通り、

“GPA? Don’t give a shit.”

状態です。

 

そりゃ成績の高評価が社会的に評価されなければ、

誰も必死になって勉強するわけがありません。

ただ、この問題は、ご存知の通り非常に根が深いです。

 

この問題は、最終的に改善されるところであって、

成績を評価するような社会にしよう!なんて言ったところで、

まるで変わるわけがなくて、授業コンテンツを磨き、大学への生徒のエンゲージメントを上げ、

その中で、しっかりと成果を残した生徒が自然と社会で活躍するまで待たなければならない、

非常に長い投資となります。

 

「この授業を取ったよ」

 

その一言の価値が上がるその日まで、

僕も何かしらやれることをしっかりやろうと思います。

 

あと少し授業頑張ります。

About The Author

kazuya.zbz

美味しいご飯と、写真を撮るのが大好きな26歳。福井→京都→US→Rettyという会社でディレクターをしたのち、現在は(一応)地球一周中のKazuya Yabu です。

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