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1月2週目の3連休、本来やる予定だった勉強を諦め、

物欲なき世界に思いを馳せた2日間だった。

これからの人生を考える上で、確かに大きいテーマだと思って、ちょっとだけ足を止めて、2日間だけ流れに身を任せてこのテーマについて考えてみた。

そのテーマとは、物欲なき世界の目次をそのまま引用すれば、

「欲しいモノがない世界の時代精神を探して」

  1. 生き方が最後の商品となった
  2. ふたつの超大国の物欲の行方
  3. モノとの新しい関係
  4. 共有を前提とした社会の到来
  5. 幸福はお金で買えるか?
  6. 資本主義の先にある幸福へ

この目次でなんとなく辛く、もどかしい気持ちになるのは僕だけじゃないだろう。

このテーマに似たようなキーワードを並べるだけでもいかにもミーハーっぽくて嫌気が刺す。

「オーガニック」「サステイナブル社会」「脱成長」「シェアリングエコノミー」

最近だと「サードウェーブ系」とかもこの価値観の方向性としては、近いと思う。もちろん一緒くたにするような粒度ではないのは百も承知なのだが。

こういったキャッチーなフレーズとは裏腹に、気づかないうちに僕もそういう意思決定をしているんじゃないか?と思って、ちょっと立ち止まってみたのが今回。

結果、一つの大きな時代のトレンドとして遅かれ早かれ、ある程度の大きさでこの流れは来ると思った。そして、僕自身もそのターゲットの一人に十分になり得るなと思った。

だいたいこういうキャッチーなワードの裏には何かしらのバズる本質が流れているケースが多く、それがバズることによって形骸化し、いつも何が本質か見えにくくなる。

今回、まずどういう体験をして、僕がそれを思ったか?というと、時系列的にはこんな感じ。(何の脈絡もないけど。)

  1. 戦略がすべてを読む
  2. 自分の去年の意思決定を振り返ってみる
  3. ほぼ日の記事をたまたま読む
  4. 二子玉川の蔦屋家電にいく
  5. 自由が丘でライフスタイル提案型のショップにいく
  6. 物欲なき世界を読む

1個1個説明すると、

1. 戦略がすべてを読む

瀧本さんの新作。本書の本筋とは異なるが、瀧本さんが2020年の東京オリンピックに関して言及しており、それが示唆に富んだものであった。簡単にまとめると、

「1964年の東京オリンピックは、確かに公共事業とオリンピックを見るためにテレビを買う等の消費活動が積極的であったため、大きな分かりやすい利益を生んだ。

一方、2020年の東京オリンピックでは公共事業も無理やり作ることは難しいし、消費に関しても多様化して、前回の東京オリンピックにようにはいかない。

では、どういうところに価値があるのか?それは東京ないし日本のブランド価値を高めるきっかけになることだ。つまり、世界中で日本や東京のパブリシティが増え、ブランド再構築をするきっかけになる。これからの時代、国家としてのブランドは極めて重要になってくる。」

という旨の話をされていて、妙に納得してしまった。ここで思ったのは、自分自身モノそのものを買うことが極めて少なくなり、体験そのものを買うにしても、何かしらのストーリーに魅了されて、ストーリーにお金を使っていることに気づいた。

2. 自分の去年の意思決定を振り返ってみる

その上で、じゃあ実際、僕の去年の大きい出費や意思決定を振り返ってみると、

・外食
・旅行
・住居

この3つが大きかったように思える。

外食に関してはRettyにいることもあり、日々人からのオススメで行きたいお店を見つけ、美味しい体験をさせてもらっている。これも小さいながらお店のストーリーを「身近なだれか」を通じて、ストーリーに共感し、消費している典型的なものだろう。

このお店の選び方に慣れてしまうと、ランキングや、お店からの宣伝だけでお店を決めることが本当に不安になってしまう。同じお店に行っていたとしても、大してグルメじゃない僕はきっと違う感じ方をしてしまうだろう。なぜなら、ご飯と一緒にストーリーも消費しているから。

次に旅行。去年行った海外は、香港・タイ・バリの3カ国。

香港

タイ

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バリ

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もちろんどの国も楽しかった。また行きたい。ただ、2015年の旅行で1番心に残っているのは、実は鹿児島の与論島だったりする。

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期待を超えた海の綺麗さだったことはもちろんだが、現地の人の温かさを感じたり、現地の人とのコミュニケーションを通じて、今自分が消費しているストーリーを同じように消費している人は少なくとも世界にはそんなにいないという贅沢な気持ちを覚えることができたからだ。

なぜ、これを贅沢と感じるのか?これが今回の問い。

最後に住居。11月に西麻布から武蔵小山に引っ越した。西麻布といえば、東京でもトップを争うバブリーな飲み街。僕も住んでる場所をいうだけで色々察されるような街。

そして、今回引っ越したのは武蔵小山。マンションのコンセプトが刺さった。内装もドンピシャ。街も住みやすく、生きやすい。

この3つの意思決定をみると、僕自身「ストーリーを消費する」ということを無意識のうちにやっていたということに気づく。そんなことを考えているときに、

3. ほぼ日の記事をたまたま読む

http://www.1101.com/terao_gen/2016-01-07.html

前々からなんとなく見かけていたものの、特に気にもとめていなかったのだが、
今回たまたま読んでみて、

「あ〜やっぱりストーリーで売ってるんだなあ」

ということを改めて感じる。

4. 二子玉川の蔦屋家電にいく

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(引用:蔦屋家電サイト

ここが決め手。代官山の蔦屋書店はもちろんあるし、好きだったが、二子玉の蔦屋は一味違った。入るとまず、主軸が本になっており「もっと変わりたい」「もっと成長したい」というエネルギーに満ち溢れるような空間を作っており、高揚感をとにかく高める構成になっている。本のセレクトが極めて秀逸。

その高揚感そのままに、家電、文房具、自転車、カフェ、カメラ、旅行、食、美容など店舗は新しい自分の生活をイメージさせるもので溢れている。「こういう生活をしてみたい」「こういう人生を歩みたい」と思わせるようなプロダクトばかりで、普段欲しくならないようなものまで、ついつい手を伸ばしてしまう。

そこに置いてある商品はもちろんちょっと高かったりするんだけど、なぜだか買おうかなっていう気にさせる。これは、まさに物欲なき世界に出てきた言葉を引用するなら、「ライフスタイル・ブームとは〝ライフスタイル・ショップでモノを購入するというライフスタイル〟のブーム」をまさに体現しているなあと実感した。

5. 自由が丘でライフスタイル提案型のショップにいく

日曜日、この体験を街全体でやっているところってどこだろう?と考えたときに、1番最初に思い浮かんだのは自由が丘だった。朝からふらっと行ってみると、なんと、ライフスタイル提案型のショップが多いこと。

もちろん、色々改善の余地はあると思ったけれども、それでもやりたいことはすごいわかるし、僕も蔦屋に引き続き、よく手を伸ばして、ものを見ていたと思う。

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6. 物欲なき世界を読む

このフィールドワークの最後に「物欲なき世界」を読んでみた。蔦屋書店のデザイン思考欄でなぜか1位になっていたので(ちょっと趣向が違うような気もする)、kindleで欲しいものリストに追加していたものを購入。

基本的な論点としては、大きく分けると二つあって、
・ライフスタイル提案型のようなストーリー消費
・本質的な幸せを問われる時代

▼ライフスタイル提案型で消費を促していく

現代日本において人々の生活の行動様式の性向の変化は、徹底した資本主義をベースにした物品の消費活動を通して実現される。少々皮肉めいた言い方をするなら、ライフスタイル・ブームとは〈〝ライフスタイル・ショップでモノを購入するというライフスタイル〟のブーム〉であり、その演出において雑誌や書籍、インターネットなどを含めたメディアが強力な役割を果たしていることは言うまでもない

ライフスタイル・ブームとは、消費社会の成熟を示すものであり、今や人々は単に商品が欲しいのではなく、商品にまつわる物語や生活提案を求めている、ゆえに商品だけを売るのではなく、商品にまつわるライフスタイルを提案しなければいけない

消費が飽和した社会は、ブランドに対して、もっと人々の生活に意味があるものを表現することを求めていると思う。これからのブランドはトレンディーなだけじゃなくて、意味があるものにならないといけない

これから増加するライフスタイル提案型ストアの成功のポイントは、おそらく、オーナー(またはディレクター)の個性です。これまでも重要でしたが、ますます重要になりそうです

大きな高級ブランドが幅をきかす時代は終焉を迎え、個人個人の好みにフィットする小さいブランドがたくさん生まれる時代になると確信しています。もっと心に響く消費に、私たち消費者自身が原点回帰するはずです

▼本質的な幸せを問われる時代に

儲かるだけじゃなくて、その会社がやっていることがお金以外の価値を生み出していると感じないと働いてくれないのが僕たちの世代。企業は儲ける仕組みを回しつつ、理念もしっかりしていないといけない難しい時代だと思います

余暇が十分にある豊かな時代がくると考えたとき、恐怖心を抱かない国や人はないだろうと彼は続ける。なぜなら人々はみな長年にわたって、懸命に努力するようにしつけられてきたのであり、楽しむようには育てられていないからだ。とくに才能があるわけではない平凡な人間にとって、暇な時間をどう使うのかは恐ろしい問題になる。伝統的な社会の土地や習慣、大切なしきたりとの関係が切れていれば、なおさら恐ろしい問題になる。世界の裕福な階級がどのように行動し、何を達成しているのかをみれば、見通しは暗いといわざるをえないという。彼によると、裕福な階級はいうならば時代の前衛であり、後続の人々のために約束の地の情報を集めようとキャンプを張っているのだと

では、どう考え、どう生きていくのか?

ここについてはもちろん結論は出ない。感覚として近いものは当然ある。なので、僕はやっぱり旅をすることで、改めて生きる意味であったりというのをゆっくり考える時間を設けたいと思った。これは5年前から変わってない。

ただ、少なくとも大量消費の時代は終わり、消費の形は確実に変わってきているし、働くということに関しても形は変わってくると思う。人口知能の技術もここに拍車をかけるはず。

そのときに何を自分は大切にして生きているのか?どういう人が求められるのか?はこれからも考え続けたい。

メモ

複雑なレシピやスタジオ撮影の写真よりも、旅行、有名シェフ、食文化に焦点を当てた編集に努めた」という

「〝これからは食でやった方がいいんじゃないか?〟というリアクションをいただくほどでしたね。現在〝ファッションが終わるのではないか?〟という危機感に時代が直面しているように思います。そのことをファッション関係の人々をはじめ、メディアにいる側もひしひしと感じているんです。食もファッションのひとつの捉え方というように考えをシフトしていけば良いのか、それとも必ずファッション・ストーリーがある、オールドスタイルな一冊を一貫して作れば良いのか。自分のなかでも今も葛藤はあるんです

日本のジュングループが一三年秋立ち上げた「サロン・アダム・エ・ロペ」、サンエー・インターナショナルが同年六月に自由が丘にオープンさせた「キャス・キッドソン」路面店、ロンハーマンが同年六月に「MARK IS みなとみらい」内にオープンさせた「RHCロンハーマン」などは、いずれも構成比率として食関連と雑貨関連商品を二〇~三〇%も取っており、ファッション以外の要素を大幅に加えている。最近では、店内にカフェを設置するケースも少なくない

人々がそうしたものに疲弊している印象があります。ただ、一方でそれは都会の生活に限ってのことだとも感じますね。僕としては、ここに置いてある商品が田舎にそれほど必要だとは思わないんです。どちらかというと都市型のライフスタイルに当てはまるんです

「長引く物販店の売れ行き不振。店舗経営者は、いかに間口を広げて、多くの客を店に誘引するかにしのぎを削っています。更に、商品に関する情報や商品の種類が増えたこと。つまり、ショップが目利きとしての機能を求められているわけです。このあたりの背景を無視して、形だけのライフスタイル提案型ストアをつくろうとすると、おそらく計画は迷走します。これから増加するライフスタイル提案型ストアの成功のポイントは、おそらく、オーナー(またはディレクター)の個性です。これまでも重要でしたが、ますます重要になりそうです

「ファッションビジネスにおいてライフスタイル提案が注目されてきた背景には、ひとつは日本が発展途上から欧米型の成熟社会になり、価値観として、所有の価値から使用の価値を求めるようになったという点だ。発展期にはモノが欲しかったが、モノをもっているだけでなくどう楽しむか、質の良い生活への欲求、例えば海外の都市生活へのあこがれ、都市と郊外でのダブルライフに対する欲求などが使用の価値につながっていると思う。  ふたつ目にリアル店舗の役割の変化とオーバーストア。ネット通販が台頭し、目的買いで強さを出し、リアル店舗もプラスアルファが必要になった。さらにこの一〇年でアパレルの市場が約一兆円縮小したのに対して売り場面積は三〇%増えた。体験し、過ごし、発見する場所といった機能が必要になったのではないか」

ひとつのモノを所有することの喜びが薄くなって、感動が違うものになってきたんです。だから、そのモノを買って手にすると、その先にどんなハッピーが生活の中にあるかというところまで提案しなければいけない

先ほど挙げたような、多様な趣味を持ったスタッフが推薦することで、その趣味のコミュニティを通じて売っていくことが、次のビジネスではないかと思います。

セレクトのみならず、企画、広告、デザイン、コピー……にも〝コク〟と〝キレ〟が絶対に必要です

百貨店の場合はジェネラルの部分が七割くらい要求されるので、すべてをライフスタイル型にするのは不可能に近いのが事実です」

これからもライフスタイル型のお店は伸びるでしょうが、洋服をどうやって育てていくかはとても重要だと思います。百貨店業界に対するスタンスとしては、もう一度ファッションとしての洋服を伸ばしていきたい。でも現実的には、ライフスタイルのバランスが衣料に偏っていたことも事実でしたので、食と住について充実させていきたいと考えているということです

物欲レスな時代は、よりモノよりコトへ、見えるものから見えないものへ価値を置く方向へ進んでいる

ライフスタイル=生き方を消費する時代は、消費主義の可能性と限界の両面を提示して、次なる地平に躍り出ようとしている

消費が飽和した社会は、ブランドに対して、もっと人々の生活に意味があるものを表現することを求めていると思う。これからのブランドはトレンディーなだけじゃなくて、意味があるものにならないといけない」

ポートランドは快適すぎるんだね。だからバランスをとることが大事だと思う。今いる場所に依存しないためにも、旅をすることはすごく大事。自分の知らない世界を見て謙虚になれるからね。クリエイティヴであるには、常に動いてないといけないんだ」

貯蓄の時代となったいま、世の中を動かすのは意味である。私たちは物質主義を捨てて、実のあるものを重んじる姿勢を強めている。何を持っているかよりも、私たち自身に何が備わっているかが大切になってきているのだ

中国の国内個人資産の三分の一を人口の一%たらずの富裕家庭が握っている

貧困層を含む下位二五%の家庭は、国内個人資産の一%しか所有していないのだ

さらに報告によると二〇一二年の段階で家庭の所得格差を示すジニ係数は〇・七三に達したという。ジニ係数は一に近づくほど格差が開き、〇・四を超えると社会不安が広がるとされているので、この数値はまさに格差がほぼ危険な状態まで広がってしまっていることを示している

一九九八年にアメリカで提唱されたロハスの概念は、その後二〇〇四年に日本のエコ雑誌『ソトコト』が取り上げ、日本でも広がっていった。そして、その波が中国にも浸透し始めている

これだけ経済がコモディティ化してきたら、人々はより個人的に好きなもの、心が動かされるものを選ぶようになると思う。ぬくもりを感じられない大量生産のものより、職人が愛情込めて作ったものをそばに置きたいと思うのが自然でしょう
アメリカの中流階級の多くは、ほぼポスト消費主義の価値観を身につけているというのが私のここ数年の実感だ

「カスタマイゼーションは単なるトレンドじゃない。二〇四〇年までには、食べるもの、着るもの、車、広告、海外旅行と、消費者の買うものすべてが、個人の好きなようにカスタマイズされるようになる。ありとあらゆるものが」

彼はプロダクトをデザインする者、そして企業も「壁とヒト」のどちらかに収斂されていくモノの大潮流を理解しないと、存在意義がなくなると警告する

過去半世紀における世界産出増加分の三分の一は保健と教育、別の三分の一はメディアを含む広義の余暇に振り向けられた。一九九〇年に米国企業がコンピュータと通信に投じた額は、他のすべての機器に投下した金額を上回り、データ処理従業者数は、石油会社の従業員数を上回った」

本の中でも〝モノではなく物語を売る〟という楽天の話をしましたが、本当の最後の最後は物語ですらなく、自分という人生、自分というストーリーを売っているんです

モノを買うことから、作ることへ。そして、お金で買うのもモノではないサービスや情報へ。さらにはモノを売り買いするのではなく、人の生き方や物語を売るという次元へ

近代以降はコミュニティの存在感が薄まり、先進国では個人化ないし孤立化が大きく進んでいる。しかしこれからは、再びコミュニティを形成していく社会に戻っていくように感じる
昔は情報が少なかったから物理的な消費に盲目に走れたんですね。今は情報が圧倒的に増えたから、関係性の中でしかモノの価値を認識できなくなってきていて、物欲の質が変わったんですね

物欲は減り、モノは個人ではなく皆で持つものに。そしてモノの所有よりも行動やサービス、知識がより重要視される時代が訪れようとしている

儲かるだけじゃなくて、その会社がやっていることがお金以外の価値を生み出していると感じないと働いてくれないのが僕たちの世代。企業は儲ける仕組みを回しつつ、理念もしっかりしていないといけない難しい時代だと思いま

自分たちの純粋な世界に閉じこもるか、世界に影響を与えたかったら、その枠から出て行って中途半端なことをやるしかない

その三つとは、信用、価値単位の提供、譲渡性だ

硬貨や紙幣など、実際に手に触れることができて、腐ったり壊れたりしない通貨がマネーであり、その上に債権と債務という手品のような実態のない装置が作られているのだと、私たちは考えてしまいがちだ。だが、実際はその真逆なのだと彼は主張する。「譲渡可能な信用という社会的技術こそが、基本的な力であり、マネーの原始概念なのである」

つまり、人に渡せる信用という目に見えない力こそがマネーであると彼は定義する。なにやら神秘主義のようにも聞こえなくないが、自然科学が目に見えない力を解明するのと同じように、経済学の本質も経済の目に見えない力を解き明かすものと考えれば、この信用という見えないものをどう扱うかがマネーを科学することと言えるだろう

ビットコインの取引のすべては、ブロックチェーンと呼ばれる台帳に記録され、それもネットワーク上に分散的に記録される。過去のすべての取引が記録されているため、取引の整合性を誰でも検証することができる

私たちのライフスタイルを変えるためには、単に便利な技術をつくるだけでなく、貨幣や政治、法システムのような社会のコアシステムを再発明しなくてはならない。この視点から、人々が日々の生活の中で、貨幣の価値がフローから成り立っていることを知覚できるようなフローベースの貨幣システムを考えていきた

お金はますますモノから離れ、情報になり、そして信頼の証になる。そうなると、これからの「お金持ち」は「信頼を多く得ている人」ということになる

こうした競争的消費の連鎖のために労働時間はいっこうに減らず、余暇という基本的価値はいつまでたっても手が届かないものになる。「つねに他人と競争関係になるため、友情、人格、安定も脅かされる」

資本主義のセントラルドグマが信じられなくなる

では、たくさん働き、たくさんお金を稼ぎ、たくさんモノを買って、より幸せになるという資本主義のセントラルドグマが信じられなくなったとしたら? 幸せになるための方法としての消費であり、その交換装置としてのお金が一番重要だと思わされてきた社会から、消費ともお金ともあまり結びつかない幸福のカタチがますます露見するようになった社会に移行しつつある中で、資本主義そのものが機能不全となりつつある様子が浮かび上がってきた。社会を動かす原動力として、資本主義はもはや人々に幸福をもたらすエンジンにならなくなっているのではないだろうか

この進行する低成長社会において、現在のグローバル資本主義が行っていることは、極端な格差の生産だ。市場全体が成長しない中で収益性を追求するのであれば、富める者はより富み、持たざる者はより持てなくなる、そういう格差の進行を彼は丁寧に説明する

先進国の経済はそれほど成長していないのだろうか。各国の国内総生産=GDPの成長率を見てみよう。日本のここ一〇年の成長率(実質GDP成長率)は、〇・八二%、アメリカは〇・九六%、イギリスが〇・六四%、フランスが〇・四五%と、新興国であるタイの四・三%や中国の一〇・二%と比べると、ほぼ経済が停滞していると言えるだろう。バブル崩壊に見舞われた九〇年代の日本を「失われた一〇年」という言い方がよくされたが、日本経済は九一年の金融不況以降二〇年以上にわたってほぼゼロ成長が続く「失われた二〇年」となっている

その対立するふたつの考えの奇跡的な両立が今、崩れようとしている。そのひとつの徴候が、先進国病となった失業率の高さ、中でも若者の失業率の高さだ。もうひとつは先進国内における格差の拡大

水野氏は「中間層が没落すると消費ブームが戻らない」と危惧する。世界的な物欲レスの進行は、中間層の没落と密接な関係があるのだ。

1:持続可能なエコロジカル・フットプリントを回復させる。 2:適切な環境税による環境コストの内部化を通して、交通量を削減する。 3:(経済・政治・社会的)諸活動の再ローカリゼーションを行う。
4:農民主体の農業を再生する。
5:生産性の増加分を労働時間削減と雇用創出へ割り当てる。
6:対人関係サービスに基づく「生産」を促進する。
7:エネルギー消費を(現行水準の)四分の一まで削減する。
8:宣伝広告を行う空間を大幅に制限する。
9:科学技術研究の方向性を転換する。
10:貨幣を再領有化する(地域社会や地域住民の手に奪還する)。
一度目は人類が装飾品や芸術品を作り始め文化が開花する五万年前から農耕社会が始まった一万年前にかけて、この定常状態は四万年ほど続く。二度目は世界宗教が誕生する紀元前五〇〇年頃から資本主義が誕生する一六〇〇年頃にかけてで、これは二〇〇〇年続いたという。特に二度目の定常期では経済規模は成長しないが、さまざまな文化や技術は育まれ、私たちが現在も享受するさまざまな文化、芸術、建築を生み出している。  これから来るであろう三度目の定常期は、経済の量的成長はほとんどないが、より少ない資源でより質の高いモノやサービスを生み出すための技術革新が求められ、技術やサービスの向上を巡る競争は高まると広井氏は予想する

では、どのようにしたら定常経済へソフトランディング出来るのだろうか? デイリーは、ふたつの考えを提示する。キャップ・アンド・トレードと最低所得と最高所得の幅を制限するというものだ

ミルは、富の増加は無制限ではなく、経済がある閾値まで達すると停止状態を避けるのは不可能と考え、一八四八年に刊行された『経済学原理』の中で次のように述べている

「見えないものが見えることが人間の成熟であり、見えない価値を評価するようになることが、経済の成熟だ

ピケティの『21世紀の資本』後半に提示する新たな資本課税という考えも、再分配モデルのひとつだろう。またデイリーが提示する「キャップ・アンド・トレード」、そして最高所得と最低所得の幅を狭める法律/条例というのもそれに当たるだろう。過剰なまでの富の独占をいかに防ぐか、全体が豊かさを感じられる社会をいかにつくるかは、分配の問題にどのようにメスを入れるかということに求められている

既に述べてきたように、お金の価値が低下しつつある現在において、お金では買えない信用、評価、サービスというものをいかに与え合うかが肝心になる

まず私たちの日常を取り巻く日用品/コモディティは、グローバリゼーションの中でますます低価格化するだろう

一方で高級ブランドは意図的にさらに高級化し、一部の富裕層を除いて人々はそれに対する憧れや渇望を失い、または時代遅れと見なすようになる。またオーダーメイドやハンドメイドはより普及するだろうが、それらは属人性が強すぎるがゆえにその人のブランディングにはあまりならない。そうなると、自分が買うモノがその人を雄弁に語ることが少なくなる。日用品以外の、憧れのある、夢のある消費というものが急激に減る時代で、人々は自分の欲望の再確認を迫られるだろう

欲しいものは、自ら関わる、作る、交換する。受動的消費から、主体的かつ参加的消費/生産が奨励されるだろう

関わっている人の顔が見える、信用/信頼出来る、長く使える、公益的といった価値に重きを置かれるようになる

むしろ今まで以上に本質的な豊かさや知性を感じられる世界になれるはずだ。

余暇が十分にある豊かな時代がくると考えたとき、恐怖心を抱かない国や人はないだろうと彼は続ける。なぜなら人々はみな長年にわたって、懸命に努力するようにしつけられてきたのであり、楽しむようには育てられていないからだ。とくに才能があるわけではない平凡な人間にとって、暇な時間をどう使うのかは恐ろしい問題になる。伝統的な社会の土地や習慣、大切なしきたりとの関係が切れていれば、なおさら恐ろしい問題になる。世界の裕福な階級がどのように行動し、何を達成しているのかをみれば、見通しは暗いといわざるをえないという。彼によると、裕福な階級はいうならば時代の前衛であり、後続の人々のために約束の地の情報を集めようとキャンプを張っているのだと

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kazuya.zbz

美味しいご飯と、写真を撮るのが大好きな26歳。福井→京都→US→Rettyという会社でディレクターをしたのち、現在は(一応)地球一周中のKazuya Yabu です。

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