メモ程度に、ブログに授業記録を残しておきます。

1月から新学期が始まり、2週間が経とうとしています。

今学期取っている授業の1つにアートヒストリーのクラスがあるのですが、

1週目が終わったので、軽く感想を書き留めておきたいと思います。

その前にちょっと長い動機をちらほらと。

クラスを取った【動機】としては、いくつかあって、

直接の動機は、アートオークションというプロジェクトを大学で以前取ったことに遡ります。

直接この目で、作品が出来上がる様、そしてそれが市場に出て行く様を見ていて、

こういう風にアートは育っていくのか、アーティストはこういう思いで作品を作っているのか

というのを知り、単純にアートに対しての興味が湧いてきたことが、1番大きなきっかけになります。

また、ダニエルピンクのハイコンセプトや、この記事のように、

アートの重要性を語られることが最近特に多くなった、

もしくは目につくようになったことも細かい動機としてあります。

また、ダンスという一種のエンターテイメントをプレイヤーとしてしている側からすると、

やはりバックグラウンドを知っている人と知っていない人の、見る楽しさは全然違っている

と強く感じていて(当たり前だが)、内側から見ていると、

「この渋い動きがカッコいいのに、なんでわからないんだろう(もちろん何故かわかってはいるけど)これは1970年代の….」

みたいなことを頻繁に思うわけです。

これは、本当に色々なフィールドでよくある現象で、

例えば旅とかでも、「知らない場所に、感じるままに、行きたいところに身をまかせて」

なんて言うけど、僕は、どちらかと言うと、

やっぱりその土地のバックグラウンドをしっかり事前に調べて、

言語を知ったいた方がより楽めるのです。

ただ、ここで言いたいのは、「知っておけ。」ということではなくて、

あくまでも、僕はそういう楽しみ方を好むということであって、

エンターテイメントである以上、これを他人に強要することは横暴でしかないとも思うのです。

ダンスやアートは、その性質上、誰でも楽しめるものであるし、

決してその楽しみ方を規定するようなものであってはいけないと思うのです。

それは、旅もしかりです。

もしかしたら、その無知の状態から、

突然何かに出会う偶有性に楽しみを見出している人がいるかもしれないし、

ここにとやかく他人が言う権利はあまりないというのが僕の持論です。

むしろ、そういう楽しみ方を規定しないと、楽しめないエンターテイメントであるならば、

そのエンターテイメントは長続きできないとも思えます。

最初は、入口を大きく広げて、

どんな楽しみ方でもいいから楽しんでもらえるようなエンターテイメント

じゃないといけないなと僕は思うので、

(極論を言えば、ダンスやアートはその敷居が低いから、

人類が生まれたと同時にこの文化が芽生え、今まで生き残ってきたと思います)

それに対する教養は、必須ではありません。

ただ、教養があると、持たざるものには見えない何かが見えることも事実です。

「もっと気楽に構えて、感じようぜ」みたいなことを言う人がいるならば、

「俺はもっと感じているけどね」と返してあげたいし、

僕はこういう楽しみ方が好きであって、自分の好きなことくらいは、

そういうハイコンクストなやり合いの中でしか見えない楽しみ方もできる人間になりたい

と思ったのがこのアートヒストリーを取ったもう1つのきっかけです。

って前置きが長くなりましたが、感想に移ると、

凄い絵、綺麗な絵みたいなくくりでしか捉えていなかったのが

今までの僕の見方だったとすると、

今やってることは、少しだけ階段をのぼって、

作者の意図を読んだり、時代背景を読んでみようか?というところなのですが、

SO WHAT?(だから何?)

みたいなことが多すぎる(笑)

もちろん中には、なるほどと思うこと、

上記で挙げたような複雑なコンテクストの中の読み合いで、

バッググラウンドを知り、初めて見えるようなもの、

一種のパズルを解くような楽しみ方ができるものもあるのですが、

結構多くの場合、

IT IS INTERESTING.(実に興味深い。ふむふむ)

で、え?それだけ?

みたいな答えなき要素も当然のごとくたくさんあるのです。

もちろんそういう色々な読み方を鑑賞者にさせるのがアートの醍醐味でもあるので、

当然と言えば当然ですが。

painting

例えば、Jan Van Eyckという15世紀の北ヨーロッパで、

ぶいぶい言わせていた彼の作品を例にとると、

分析1:夫婦が手をつないでいる丁度上に、鏡があるのがみえますか?

これをよく見てみると、写っている2人の前にもう2人人物が写っています。

つまりこの部屋には実際4人いるということなのです。

しかし、犬は鏡にいは、写っていません。何故でしょうか?

実は、犬は後から書き加えられたのです。キリッ

みたいなね。

これを僕は、SO WHAT レベル1と呼びます。

分析2:男性左後ろに、オレンジが見えますか?何故ここにオレンジがあるのでしょう。

この中世の時代ではオレンジが民間人の間で割とポピュラーだったのですね。

これを僕は、SO WHAT レベル2と呼びます。

とこれまで常に疑問に対してクリアな答えが求められるところで、

僕は当たり前のように過ごしてきたので、

何故?興味深いね。

みたいな終着点を容認するアートは、色々な意味で、

僕の視野を少し広げてくれるかなと思います。

とまあ長くなりましたが、こんな感じでせっかくなので、

少しは、アートに近づけるように頑張ります。

 

About The Author

kazuya.zbz

美味しいご飯と、写真を撮るのが大好きな26歳。福井→京都→US→Rettyという会社でディレクターをしたのち、現在は(一応)地球一周中のKazuya Yabu です。

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